2015年

3月

03日

得意科目と苦手科目

 今年度の中学受験・高校受験も残すところ公立高校の後期と2次募集のみとなり、終盤を迎えました。高校を例に取りますと公立高校は英国数理社の主要5教科、私立高校は同じ5教科か数英国3教科で入試が行われます。生徒たちは定期試験で5教科の試験に慣れてはいるものの、受験という特別な場で、且つ緊張した雰囲気の中で制限時間内に自分の力を十二分に発揮することは難しいことです。 受験戦略の基本は、第1に教科の見極めです。もちろん5教科全てに自信があり、それなりの結果を残せるのであれば戦略などは必要ないのですが、ほとんど全てのお子さんが得意科目と不得意科目を持っています。戦略とは、まず第1にどの科目で何点くらいの得点ができるのかをしっかりと把握することです。特に3年生の2学期以降はどの中学でも入試を踏まえた総合テストを行います。実施ペースは1カ月に1回程度です。1~2回このテストを受けてみると自分の得点力のポジションがわかってきます。教科別の出来不出来もそれなりに安定してきます。その結果、自分が各教科でどの程度の点数が取れるのかという得点範囲もわかるようになってきます。 学力と睨み合わせて最終的に第1志望校を決定するのは年明けになると思いますが、本格的な受験勉強は夏休みを含めて9月にはスタートしなければなりません。年内は5教科をほぼまんべんなく学習しなければなりませんが、冬休み以降入試直前までは、得意科目での得点力アップを図るのが最も効果的です。一般的には、最後に伸びる可能性があるのは暗記を中心とする教科・分野だと言われています。確かに社会や理科、漢字、英単熟語の暗記にはそれなりの得点アップが期待できることは確かです。しかしながら、僕の経験では、受験における得意科目の取りこぼしは最も大きな打撃となります。これは精神的にも大きなマイナスとなります。できる科目は最大限まで伸ばし、それ以外の科目はそれなりにということが最も効果的な学習だと確信しています。この前提は自分の得意とする科目(他教科と比べて高得点が取れる科目)を最低2教科は作っておくことです。得意科目は自然と生まれるのではなく、自ら作り上げていくと考えたほうが良いでしょう。内容的には好きとは言えないけれど、他の科目よりは得点が高い、という教科が必ずあります。それを得意科目と位置づけましょう。 受験勉強には、いくつかの戦略が必要です。ただ闇雲にすべての教科で高い得点を期待して勉強することは得策ではありません。500点満点で500点を取る必要はありません。自分が何点を目指すのか。そしてその点数をどの教科で何点ずつ獲得するのか。そのイメージ作りが受験勉強には不可欠です。そのイメージを具体的な目標点数に落とし込んで、各教科への学習時間配分などを決めていくことが大切です。弱い科目を補えるだけ強い科目の得点力を上げることが合計点を安定させます。

2014年

4月

29日

not「頑張れ」but「頑張る」

 「頑張る」というと、なぜだか「365歩のマーチ」という昭和中期の水前寺清子さんの歌を思い出します(完全に昭和のオヤジです)。その歌詞の中に、「3歩進んで2歩下がる。」という一節があります。1歩進むためには3歩分の努力は当然必要なんだと歌ったこの曲が一世を風靡したのです。

 ボクなんかは気がつくと1歩も進んでないのに、3歩くらい後退してしまっていると気づくことが日常なので、退くことなど考えることなく前進を続ければ必ず前に進めると歌ったこの人生の応援歌を耳にしたりすると、日本が一丸となって頑張り、高度成長期を形成したあの昭和40年代、自分だけが周りのスピードに取り残されてしまうような不安にもがいていた青春時代を思い出したりします。

 そんな高度成長期も終焉を向かえ、1990年以降のバブル崩壊を契機として始まった長きに渡る失われた時代を這いずって来た日本は、一時的なブームかもしれないアベノミクスによってもたらされた消費税増税を端緒としたインフレのスタートに、一部の持てる人たちは多少浮かれ始めています。しかしながら、われわれ庶民の生活の実態は依然厳しいままです。1歩前進するために、3歩どころか何十歩という頑張りが必要らしいという蟻地獄のような恐ろしい状況はずっと続きそうです。

 しかしながら、厳しさが続く世の中でも、いやそんな厳しい時代だからこそ、希望や夢を持つことが大切だと気づきます。あのアウシュビッツにおいてさえ、その過酷な日々を生き抜かせたのは強い運とそれにも勝る夢や希望に対する強い思いだったようです。

 「夢」とか「希望」などという綺麗な包み紙に包まれていなくても、何かを手にしたいと思ったときには、結果や周りの声などを気にしないでがむしゃらにその目標に向かって打ち込む突き進む強い気持ちが必要だと思います。この行動を「頑張る」と言うのでしょう。主体的に「頑張る」ことはとても素晴らしいことです。

 しかし、自分以外の人にかける「頑張れ」という言葉はどうでしょう。「ウツ」の人には「頑張れ」という言葉は決して掛けてはいけないようです。確かに、気持ちがどん底にある人に対して掛ける「頑張れ」という言葉ほど、無神経かつ鋭利な刃物を突きつけるような響きを持つエールはなさそうです。

 一方、病に苦しんでいる人ではなく、一つの目標を持つ人に対しては、「頑張る」という言い方がもしダメなら、「全力でぶつかる」とか「精一杯に取り組む」と言い換えたとしても、とにかく目標を達成するためには、少し背伸びをしなければ届かないものを取りに行くという姿勢や意志は時代や状況にかかわらず、絶対に必要なのだろうと思うのです。

 詳しくは知りませんが、聞き流すだけで英語が話せるようになるという英会話の学習システムがあるそうですが、この類のメソッドは個人的には全く信じることができません。聞き流すという楽な方法では乗り越えられないいくつものハードルが、語学(だけではありませんが)を習得する際には必ず立ちはだかります。でも、それは超えることのできないハードルではなく、主体的に「頑張って」取り組むことで一つずつ克服することができるのだと思います。

 ボクは、以前勤めていた大学でご一緒させていただいた、尊敬する故・石井米雄先生さんから「僕は常に何かのビギナーでいたい。」とお聞きしたことがあります。どんなに優秀な方でも、またある道を極めた方でも、常に謙虚で真摯な姿勢でいるためには常に初心者として取り組む何かがあったほうが良い、というお考えだったと思います。そんなことを思い出しながら、何かに主体的に「頑張って」取り組んでいない自分を反省している今日この頃なのです。

2013年

9月

09日

東京オリンピック再び

 1964年の東京オリンピックは僕が8歳のときに行われました。その時の東京がどのような盛り上がりを見せていたかの記憶はないのですが、今に至るまでにテレビ番組などで何回も目にした大松監督率いる東洋の魔女と言われた女子バレーの映像やその後自らの命を絶ってしまった円谷選手のマラソンなどの映像は自分の少年時代の記憶と断片的にリンクして思い出すことができます。昭和40年代の高度成長はこのオリンピックを契機に始まったわけですが、昭和と言う時代において日本は本当に経済的には目覚しい成長を成し遂げたと感じます。

 今回2020年のオリンピック開催地が東京に決定したことは素直に嬉しいです。特に今回の開催地決定に至るプロセスにおいての最後のプレゼンテーションには、その身振り手振りの若干の不自然さと気恥ずかしさを差し引いても、プレゼンターの熱意が伝わり、強く感銘を受けました。

 「しかし」と思うのです。このお祭り気分に危うさを感じてしまいます。行け行けで突っ走った日本経済がバブル崩壊によって奈落の底に落ちたことを思い出しても、オリンピックのバブル気分に浮かれて、何よりも優先してやらねばならないこと、つまり震災地の復興と原発の汚染水の問題解決が華やかな舞台の陰に追いやられはしないかと。オリンピックを開催する一国の責務として、この問題解決は第一に取り組まねばならない課題であると改めて感じます。

 震災によって失われた命を身近にもつ方々にとっては、オリンピックが東京で開催されても、その悲しみの大きな穴が埋まることはありません。まわりがはしゃげばはしゃぐほど、逆に悲しみは深まり、孤独感は大きくなります。目に見える経済的復興は難しくないでしょう。それにはオリンピックがもたらす経済効果の一部も寄与するかもしれません。一過性のお祭りを尻目に、埋めることのできない悲しみは、ひとり一人が一生涯抱えていかざるを得ないものなのでしょう。気を紛らわす何かはあったとしても、そこには残念ながら本当の意味での救いはない気がします。

 東京で行われる2回のオリンピックの時代背景はとても異なります。1964年には日本全体の生きる勢いの中にオリンピックが取り込まれていた風でした。2020年の東京オリンピックに心踊るものを探すと、それは子どもたちの夢を育むひとつのきっかけになるだろうということです。7年後に大きな楽しそうなイベントがあるというだけで、子どもたちは漠然とながらも希望や期待を持てるような気がします。

 

 東京オリンピック再び

 

 東京が更に発展し、世界の注目を浴びる中、果たして地方はどうなるのでしょう。

 

2013年

6月

15日

読んで心地良いブログを書くのは難しい

「つぼや英数塾」六本辻教室
環境と犬に優しい家(工事中外観)

 新居のことから始めます。

 外壁や内壁の珪藻土が塗られ、木部の塗装が終盤を迎えると、とても気持ちの良い住空間になりつつあることを改めて感じます。大手の住宅メーカの工法で建てられた家にはマンションや一戸建てを含め数年ずつ暮らしたことがありましたが、環境を大事にし、犬に住み心地の良い家という今回のbreath houseさんの建築コンセプトは、そこに住む人間にもとても優しい癒しを与えてくれる住処を作ってくれました。

 細かい点では、不満がないわけではないのですが、それはこちらの確認ミスによるところが大半なので、致し方ないとあきらめています。それでも家に対する満足度は90%を超えているという印象です。後は、猫の額ほどの庭をどうにかして犬たちに喜んでもらえる遊び場にしたいと思うばかりです。

 まあ、住みながらより良くしていくという発想で、今後この軽井沢にいる限り、この新しい住処にいる限りは、快適な場になるように改良を加えて行きたいと考えています。

 塾生たちは満足してくれるでしょうか。満足とまでは行かないまでも、学習する空間として心地良さを感じてくれるかが心配ではあります。この新居への引越しとともに、長い間暖めていた採算度外視の個人指導をスタートさせます。

 本題に戻りますが、このブログのバックナンバーを読んでいると気恥ずかしいほどに肩に力が入っていると感じます。飾った言葉を並べようとか、ためになる何かを伝えたいとか、そんな気持ちはさらさらないのですが、全てにおいて理屈っぽくて、説教がましいですね。それは大いに反省しています。曲がりなりにも塾という教育の一端を担う人間が書くブログなので、そこに教育的な何かを盛り込まなければという無意識の意識が「何か物申す」みたいな文章に仕立ててしまっているようです。

 読んだ後で、風のように消え去ってしまい、何も残らない、しかし清涼な湧き水を飲んだような心地良い文章を一度は書いてみたいと思います。

 軽井沢は、蝉の声を先導役にあの喧騒の夏に向かっています。

 

2013年

5月

16日

もうすぐ新居に移転します。

 長い冬も終わって、ここ数日は軽井沢にも夏の日差しが降り注いでいます。軽井沢でも、本当に気持ちの良い季節というのは短いのですが、今から梅雨に入るまでは一年のうちで最も爽やかで気持ちの良い季節になります。毎週末には観光客が多く押し寄せるようになってきました。危なっかしい運転で列をなして走っている自転車は、決まって中国の観光客です。ですがそれよりも、犬たちと散歩をしていて怖いと思うのは、抜け道を暴走する優しさのない車です。まず、抜け道を使うことに自己中心的な嫌悪感を持ちますし、それに加えて暴走するわけですから周りの人や動物などへの配慮が微塵もないのでよけい腹が立ちます。

 ところで、今年1月19日に上棟し、建設が始まった私たちの新居もあと1カ月半で完成する運びとなりました。現在は、家の外壁については下地の2度塗りが終わり、次に珪藻土を塗る作業に入るところのようです。すでに家の中は水周りを中心にタイルを貼るための下仕事が終わり、あとは外と同様に珪藻土を塗る段階です。続いて細かな建具の仕上げや照明やコンセントなど電気関係の工事が続きます。そして最後に外周りの工事とカーテン等の取り付け作業が終われば晴れて完成となります。昨年の夏の終わり頃から打ち合わせを始めたので、もうなんだかんだで10カ月近くが経ってしまいました。今年は雪が多かったので、工期が長引くことが懸念されましたが、工務店さんのお陰で予定より1週間ほど早く入居できそうです。

 軽井沢にある他の家と比べると、本当にちっちゃな家ですが、母犬のノルの死をきっかけに移り住んだ軽井沢なので、レックやアモにとって心地良い住まいにしたいという大切な願いが詰まった家になります。そこで、今も一緒にいるノルと、レックとアモとの賑やかで新しい生活を始めます。

 「つぼや英数塾」のスペースは今より手狭になりますが、講師1名に対して生徒2名の授業をやるにはちょうど集中できる空間にしました。新居は六本辻のラウンドアバウトから、離山通りを100メートルほど旧軽銀座に向かう左手にあります。夏の時期は、離山通りの車の渋滞が心配です。お通いいただく塾生と送り迎えをしていただく保護者の皆さんには7・8月はご迷惑をお掛けすると思います。移転に先立ちお詫び申し上げます。

 引越しは6月29日(金)を予定しています。転居後には、写真などとともに改めて教室の所在地の詳細な紹介をこのホームページでさせていただきます。

 

2013年

5月

02日

個別指導で思うこと

 個別指導塾は、学力に対して施術をする東洋医学の治療院のようだと思うことがあります。子どもの学力の痛みを探りながら、どのような治療をすれば学校の授業に余裕を持って臨めたり、志望校への合格を手にすることができるのかを診断し、最善だと判断した施術を行い、日々の学習に頭を悩ませることなく取り組めるようにします。

 痛みの箇所を特定することは難しいことではありませんが、そこを完全治癒する手段については大いに悩みます。例えば、単純に算数ができないというお子さんの場合、引き算でつまづいているお子さんの治療法は徹底してたし算を強くすることが効果的ですし、わり算の筆算でつまづいている場合は九九と引き算を強化することから学習を始めます。

 図形の面積や体積を求めるのが苦手な場合は、求積の公式の成り立ちを理解させた上で、公式がスラスラと言えるようになるまで暗記練習をします。その後、公式の利用方法を問題解法を通して身に付けてもらいます。

 治療の方法には個人差があり、どうしてもカスタム・メイドのプログラムと長い目を持っての指導が必要になります。突き詰めていきますと、ひとり一人の治療目的を達成するための理想的な指導スタイルはマンツーマン指導に行き着きます。しかしながら、マンツーマン指導はご家庭に高い授業料をご負担いただくというデメリットが発生してしまうため、特別な場合を除いては安易にお勧めすることはしません。その結果として、講師1名と生徒2名という個別指導のスタイルにより経済的な面と指導面との折り合いを付ける選択肢を前面に出してお勧めしているのが現状です。

 確信を持って言えることは、学力に何らかの問題を抱えているお子さんには、できるだけ指導者の目がより多くの時間その子に注がれる指導法をお選びになることが最も必要なことだということです。 はじめだけでもマンツーマン指導を受け、その後個別指導に切り替えるという学習スタイルも効果があると考えます。

 個別指導で驚くことは、講師1名に対して3名以上の生徒が同時に指導を受ける教育システムを行っている塾の存在です。講師に相当の学力や指導力、社会経験などがある場合でも、一度に3名の以上の生徒を個別に指導するというのは、形だけはできるようでも至難の業です。それを本当に大学生のアルバイトや指導経験や社会経験の浅い講師ができるのでしょうか。生徒の大半の時間を問題解答演習に当てさせて、生徒自らが手を上げた時にだけ質問に解答したり、短時間のアドバイスをするだけならできるかもしれません。しかしそれでは、塾通いをしているという体裁を整えるための場としての意味しか感じません。まして、学習する姿勢に問題を抱えている生徒の指導や、学力が低迷し続けているお子さんの根治治療はできないように思います。

 自分が今行っている個別指導でも、1対2の時は、やはりマンツーマンと比べるとやり残し感、指導の不十分さ感が残ります。経済的に余裕のあるご家庭が、家庭教師というスタイルで、勉強なり習い事を選ばれているのには確かに頷けるところがあります。

 しかし、経済面と学習効果の面で、最もコストパフォーマンスが高いのは、講師1名対生徒2名の個別指導だと思います。授業時間の全てにおいて講師を独占することはできませんが、できるだけ無駄な時間のないように、わからない問題についての指導を受ける時間と問題解答に取り組む時間とをうまく配分できるようになると、とても効率が良く、より質の高い学習をすることが身につきます。

 学校の成績がほぼオール5かそれに近いお子さんであれば、どのような指導形態でも学力はつくでしょう。ですから集団指導の塾であっても何ら問題はありませんし、逆に競争相手の多くいる場がその子をさらに伸ばす可能性があります。しかし成績が平均あるいは平均を下回るお子さんの場合は、一度は個別指導あるいはマンツーマン指導をお受けになることをお勧めします。そして、個別指導型の塾をお選びになるときには、講師1名に対して生徒2名を最大数とする個別指導塾をお選びになってください。指導のときはもちろんですが、問題解答の時もお子さんの手元に目を注いでくれる講師の存在は、長い目で見たときにとても頼りになるものです。講師が頻繁に変わる個別指導塾は論外です。

 ご家庭の大事なお金とお子さんの大切な時間を費やす補完教育の場は、しっかりとした目でお選びいただきたいと切に思っています。

 

2013年

4月

19日

寺田寅彦さんの「数学と語学」

 何故、今、寺田寅彦さんなのか? と不思議に思われるでしょうが、特別な理由はなく、ただ最近ダウンロードした無料の電子書籍の一つにこのエッセイがあり、もしかすると自分の塾のコンセプトとなんらかのつながりがあるかもしれないと思って読んだだけというわけです。

 このエッセイの中に次の文章があります。

 「私が『数学と語学』という題でこの原稿を書き始めた時は、こういう難しい問題にかかり合う考えはなかった。ただ語学が好きで数学の嫌いな学生諸君と、数学が好きで語学が嫌いな学生諸君とに、その好きなものときらいなものとに存外共通な要素のある事を思い出させ、その好きなものに対する方法を利用してその嫌いなものを征服する道程を暗示したいと考えたまでであった。」

 寺田寅彦さんはこのエッセイを、ある入学試験の受験生の成績における数学の点数と語学の点数との間に統計的相関があるといってもたいして不都合はなかったという記憶を辿ることから始めています。そして、数学と語学の間に見られる共通点として、記号符号が一種の文法に従って配列されて文章になると喝破しています。

 このエッセイを読んで、あらためて、なぜ自分が理科・社会など全ての用語・項目などなどを暗記しなければならない教科が嫌いで、「若干の公理前提を置いて、あとは論理に従って前提の中に含まれているものを分析し、分析したものを組み立ててゆく」数学や語学が好きだったかの理由に思い至った感じがしました。

 やや難解な英語の文章を読み解いていくと、そこには一見パズルのように雑然と並べられた単語しかないにもかかわらず、単語やイディオムのつながりを、文型などをはじめとする文法という論理や慣用という決まりごとに従って分析していくと、それまでぼんやりとしていた文意がひとつも曖昧なところなく明白になることがあります。

 これと同じ感覚は、数学で補助線を一本引いただけで、それまで見えていなかった角度の大きさが疑いなく定まるときに似た「やったー!」感を与えてくれるのです。

 語学において暗記しなければならない単語やイディオムの数は膨大ですが、それらをある程度身に付けた後は、いわゆる良い文章をたくさん読むことによって、語学力は向上します。数学でも、覚えるべき公式などは少なくありませんが、それを道具として使えるようになった後は、いわゆる良問を数多く解くことによって、数学の力はレベルアップします。

 数学と語学、考えてみるとどちらも道具と技術を使って、あとは体力と判断力に任せて頂上を目指す登山にも似て、なにか共通するものがあるのかもしれません。

 寺田寅彦さんが言うように、数学が好きなら英語も、英語が好きなら数学も、どちらも好きにかつ得意になる可能性は大きいのだと思います。

 しかしながら、「つぼや英数塾」の塾生にはどちらの教科も嫌いで、どちらの教科も不得手という生徒が少なくありません。ですが、どちらかの教科が得意になれば・・・、という期待感で指導を続けます。

2013年

4月

07日

Plan-Do-Seeを勉強に取り入れる

 経営管理あるいは目標管理の手法の一つにPlan(計画)-Do(実行)-See(検討)という行動サイクルがあります。Plan(計画)-Do(実行)-Check(検討)-Act(改善)というサイクルもあります、僕に馴染みがあるのは、Seeの中に検討と改善の要素を入れ込んでしまっている前者の方です。要は同じものです。

 一つの目標を達成しようとするとき、何をいつまでにやるのかというPlanを立てることは最も大事な事柄です。プライベートで立てる計画なんてたいがいが画餅に終わるといわれますが、何らかの目標を持ったときには、それを達成するための道筋を行動計画として明示することはとても重要です。これは目標を開示することにも繋がり、自分に対して一つのプレッシャーになり、達成のモチベーションを上げることになるのです。

 さて、物事には形から入ることが大事なときがあります。目標を立て、それを実行するときも、形から入ることが大事です。細かすぎる計画はダメです。大雑把で構わないのです。とにかく、目標を持ったならば、その目標を達成するために足りないものを箇条書きにして、その足りないものを補うためには何をしなければならないのかを明記しましょう。同時にそれを実行するための時間も明記します。期限の定められていない計画は決して実現することがないと心得ましょう。

 勉強の場合も同じように計画を立てて実行します。目標は何でもイイのです。例えば、「次の定期考査では、数学の点数を(平均点×1.1)は取る。」というのでもイイでしょう。次に、その目標を達成するためにはどんな勉強をどのくらいやらなければならないかを一生懸命に考えます。教科書の問題と学校で使っている問題集を3回繰り返して解くと決めるのもイイでしょう。友達や先輩や家族にも聞いてみましょう。目標と計画は具体的であればあるほど良いのです。

 とにかく、立てた計画に沿って実行します。そして、定期考査の結果が戻ってきたら、自分の目標とのギャップを良く見ます。目標を達成できたのか。目標より良かったのか、悪かったのか。このときに計画と実行したことについて良かった点と悪かった点を具体的に書き出し、それを見直して改善できることを考えるのです。つまり、Seeです。Seeをしっかりとすることによって、次のPlanとDoはより実現されやすいものとして決定できます。

 Plan-Do-Seeの行動サイクルが、徐々に良い結果を生み出す好循環のスパイラルになれば、次々と高い目標を掲げることができます。逆に悪い結果しか出ないような悪循環のスパイラルに陥ってしまった場合、それは目標が高すぎるか行動計画に問題があるはずです。

 いずれにしても、目標を設定し、その実現のための計画を立て、その計画に沿って実行し、結果を目標と照らし合わせて、計画を見直しすること。つまり、Plan-Do-Seeを実践すること。これを一日も早く始めることが、成功への確かな道筋になると思います。だまされたと思って、次の機会にやってみてください。

2013年

4月

01日

「教えない」という指導

 個人指導や個別指導を行っていますと、つい必要以上に教えてしまうことがあります。生徒たちも教えられた通りにやっていくと正解にたどり着けるので、なんとなくわかったような気になり、満足度は上がるようです。しかしながら、実はここに危ない罠が潜んでいることをしっかりと意識しなければと思っています。

 集団指導の塾などで教鞭をとっていたときには、授業の予習をして、授業展開の筋書き(流れ)と時間、理解させるべきその日の学習ポイントなどを指導ノートに書き込み、自分が牽引役となって毎日の授業を進めていきました。しかし、そのときに感じていたのは、目の前の生徒の誰にも焦点があっていない指導をしているというもどかしさでした。

 例えば1クラス15人の生徒に教えるとすると、かなりの難問をぶつけても15人のうち2~3人は正解に至る解法の流れを答えてくれます。授業はその生徒たちの答えを手がかりにしながら、正解により近づくための質問を投げかけつつ、徐々にこちらの意図する解法プロセスに生徒たちを引っ張って行きます。そして、正解を板書して、解法に至るポイントがわかったような気になっている生徒たちの表情を確認して、授業を終えるのです。しかし、「できて」「わかっている」のは半数から3分の2程度のことが多いのです。

 そんな時代のことを思いながら、「ああ、あの時は教えようとしていたな」と反省するのです。

 何を目的に、今、講師1名対生徒2名の個別指導の塾をやっているかというと、集団指導では決してできない「教えない」指導をしたいと思っているからです。「教えないなら自習と同じじゃん。」という生徒たちの声が聞こえてきそうですが、最終的には塾などからは卒業して、自分の力で課題を見つけ、自立した学習がしっかりとできるようになってくれれば十分だと考えています。そこに行き着くまでの手助けをするのが、個別指導の役割だと信じています。

 では、「教えない」指導における個別指導とは、何を教えるのでしょうか。

 

  それは、「気づき」です。

 

 生徒に問題を出して、それを解かせて、答え合わせをして、できていなければ解き方を説明する。それだけでは、生徒たちの学力は大きくは伸びて行きません。解き方を教えてはダメで、解き方に気づくように、生徒の脳を突いてみたり、引っぱってみたり、かき回してみたりするのです(残酷ですね)。

 例えば、分数のわり算は、何故、割る分数の逆数をかけることで計算するのでしょう。確かに、その通りにやれば正解は出ますし、演習問題を解く上では逆数をかける意味がわからなくても支障はありません。しかし、「ああ、逆数をかけるのはそういう理由なんだ。」と気づくことが本当は大事なのです。 これは「できる」と「わかる」の違いということでもあります。

 私たちが勉強することの中には理屈抜きに覚えてしまえばよいということがたくさんあります。しかし、生徒に「気づく」ことの楽しさと「あっ、こうすればいいんだ。」という発見や納得の満足感を与えることが、最良の指導だと考えています。

 なかなかうまくはいきませんが、「教えない」という指導を目指して日々頭を悩ませ、筋書きのない、ライブ感覚満載の個別指導を今日も楽しみたいと思っています。

 

2013年

3月

19日

4月はやはりスタートの月

 わたしたち多くの日本人にとって、3月、4月は特別な季節です。
 自分の学生時代や初めて社会に出た時のことを思い出すと、あのころの別れと出会いのほとんどがこの季節の訪れとともにやってきたことにあらためて気づきます。
 卒業や進学、進級という大きな流れのなかで、友人や先輩、後輩、恩師と別れたり、思いを寄せていた人に自分の気持ちを伝えきれずに離れ離れになってしまったり、いろいろな思いが忙しさの中に紛れてその居場所を失ってしまい、どこか片隅に追いやられてしまう季節でもあります。
 一方、新たな環境へと踏み出したおかげで、それまでの自分とは違う自分を発見したり、本当に気の合う仲間と友達になれたりもします。何か新しいことを始めたいような気になったり、そのきっかけを作ってくれるのもこの季節ならではのことです。
 社会人になってからも、新入社員の受入れや人事異動、昇進、転勤など職場内での変化や人生の大きな転機の多くが、この季節とともにやって来ます。
 この季節には、涙を流す機会が増えるかもしれませんが、笑顔の中の涙であることが多いようです。
 春には涙より笑顔が似合います。そして、春には桜が似合います。
 軽井沢では桜の木をほとんど見かけませんが、桜はこの季節、見事に華やかに咲き、あっという間にその艶やかさを散らせてしまいます。その潔さが、何か人生の別れとか出会いという刹那の出来事の象徴となって、わたしたちの心を打つ多くの名曲なども生んできたのだと思います。
 ところで、「学問は一日にしてならず」の言葉にもあるように、勉強は桜の花とは違い、一瞬の輝きや刹那の華やかさに集約されるものではありません。毎日の地道な継続、コツコツとまじめに取り組む姿勢こそが、将来の大輪の花を咲かせるのだと信じています。
 生徒の皆さんの「コツコツ」のスタートと継続をあらためて期待する春なのです。

2013年

3月

10日

地震予知と学力予知

 2011.3.11の大震災からもう2年が経ちます。あの天災&人災以来、災害を予知、予測することに日本中の関心が寄せられています。現実には、いつ、どこで、どのくらいの規模の地震が来るかを予知、予測することは、今の科学のレベルではほぼ不可能であるという結論は出ているようです。

 見えないものに対する恐れは不安であり、見えるものに対する恐れは恐怖というそうです。地震は予測できない故に本当に怖いものですが、予測できないが故に、大震災によるあれだけの被害の情報を受け取っていても、それへの対策を講じることをつい怠り、一日一日と先送りしてしまいます。

 さて、お子さんの学力についてはどうでしょうか。例えば、中学1年のお子さんが初めての定期考査の結果を持って帰ってきたとします。結果は下位30%に入っているというあまり好ましくない状態です。偏差値でいえば、40に届かない学力でしょう。このままほっておけば、2年7カ月後の高校受験でどのような結果が待っているかはおおよそ予測できます。大学進学率の高い高校への進学は難しいかもしれません。

 しかし、この危機予測に対して何らかの手を打とうとする親御さんはどのくらいいるでしょうか。私の経験からは、何かしなければと思う親御さんは8割以上と結構多いのです。しかし具体的にその対策を講ずるご家庭となると2割以下に激減します。中学1年生ですと、まだ多くの親御さんが、多少不安に感じながらもあまり切迫した危機意識を持ちません。

 地震よりも訪れることが確実らしいお子さんのそこにある危機に対しても、実際に手を下す親御さんは2割程度。それが現実です。できるだけ面倒な準備は先送りしたいのです。しかし、時は残酷にもあっという間に過ぎ、中学3年の夏休みに入り、部活などから実質的に引退した頃に、初めて気づいたかのようにあたふたする親御さんが相当数いることとなるのです。

 お子さんの1年後の学力予知は、3ヶ月以内の大地震予知よりも簡単です。お子さんの毎日の学習習慣や定期考査の結果を見て、このままで良いはずがないと少しでもお感じになるのであれば、とりあえず情報を集めて、何らかの対策を講ずるための準備をしていただきたいと思います。

 小学校高学年、中学生以降ならば、高校受験への準備をするのに早すぎるということはありません。軽井沢は、その恵まれた自然とほどよい都会感、そしてゆったりとした生活の中で、高校入試という子供たちの重要なステップに対する備えが遅い気がします。

 焦る必要はありません。気持ちと時間の余裕を持って対策を立てることが、確実に状況をプラス方向に運び、お子さんに選択肢の多い未来の訪れを約束すると確信します。

2013年

3月

08日

英語は読み下そう。

 「読む」「書く」「聞く」「話す」という4技能の習得から考えると、日本語は世界で最も難しい言語のひとつです。また、日本語の語順は、韓国語・トルコ語などを除いて、英語など他の言語の語順とは異なる言語グループに属しています。

 日本語を母国語とするわれわれ日本人は、その歴史的経緯から英語を勉強することが実質義務付けられており、英語は高校入試、大学入試で唯一の必修科目と言える地位を獲得しています。特に、大学入試においては、文系・理系を問わず英語だけは受験しなければならないという大学が圧倒的多数です。

 そして、グローバル化の進展と発信言語の多くが英語であるインターネットの普及に伴い、英語を使えることがこれからの世界で生き抜くためには必須能力となりりつつあります。

 好きでなくとも英語を勉強しなければならないのですから、ここは一挙両得ということで、受験対策にもなり情報収集や情報発信にも役立つ英語力を身につけてしまいましょう。

 その英語力の基盤となるのは読解力です。読解力を身につけるためには、英語をその語順で理解するよう訓練することが早道です。英語を母国語として情報発信する人たちは、当然ですが発信する順番で英文を考えています。ですからその情報を受信する私たちも、発信された順番で、いくつかの単語のかたまりごとに理解しながら、元に戻ることなく文章の頭からお尻までを読み下すことに慣れていく練習をしましょう。

 この読み下しができるようになれば、長文も恐れることはありませんし、リスニング力の強化にも役に立ちます。英語の読み下しに慣れるためには、ある程度の語彙力と文法(特に文型)の基礎知識を身につけたあと、精読と多読の両方に取り組むと効果的です。

2013年

3月

04日

「やればできる」に頼っていてはダメ。

 学校の三者面談などで、成績が低迷している生徒のお母さんに向かって、先生は「お子さんはやればできるんですがねぇ…。」と慰めとも、励ましとも、諦めともとれる決まり文句でお茶を濁します。

 その裏側には「ここまでやらなかったからできないんです。できるためにはやらなければダメです。」という強いメッセージがあるにもかかわらず、目の前の生徒にやる気を出させることはかなり難しいという本音があるゆえに、素材部分をほめる形で差し障りのないように面談を終えてしまうのです。

 この「やればできる」という言葉にすがって、「わたしの子どもはやればできる。でも今までやらなかったからできないだけ。」といつまでも現実逃避をしていてはダメです。学校の成績の差は、ほぼ、勉強を「やったか」、「やらなかったか」、の差にすぎません。子どもにやらせること、子どもがやること自体が難しいのですから、「やらせることができれば」イコール「やるようになり」そして「やればできる」ようになります。

 どのようにわが子を勉強に向かわせられるかを必死で考えること、それは親御さんにしかできない教育の基盤です。 今の世知辛い世の中にあって、子どもに残してあげられるのは金や物などではなく、子どもの可能性の引き出しという宝物ではないでしょうか。損得抜きで子どものことを考え尽くせるのは親御さんしかいないのですから。

2013年

3月

03日

塾生の喜びが明日への活力

 毎年この時期なると、受験に取り組んでいる塾生たちの合否連絡が入ってきますが、今日も東京の私立に合格したという本当に嬉しい連絡を受け取りました。

 塾生一人ひとりが、志望校への入学を果たすことは望外の喜びです。自分の指導がどれくらいの割合で合格に貢献したかは本当のところよくわからないのですが、塾生たちが、途中で投げ出すことなく塾に通い続けてくれた根気や、途中で投げ出さずに勉強を続けてくれた頑張りは、これからのその子の人生において必ずまた違う面でも実を結ぶはずだと確信する瞬間でもあります。

 大学を卒業してから、いろいろと紆余曲折はあったものの、とりあえず社会人として30年ほど組織の中で働き続けてきた経験から実感するのは、何かを成し遂げることが大事なのではなく、何かを成し遂げるために日々の努力を投げ出すことなく続けることこそが大切だということです。

 確かに、優秀な人材はいます。しかし、世の中にとっては優秀な人材よりも、努力を惜しまない人材こそが宝だと思います。彼らの努力こそが、長い目で見ると優秀な人材の閃きや輝きをはるかに凌駕して、組織や社会のがっしりと強固な発展の土台を築くのです。

 日々の努力を続けた塾生がきっと社会で役に立つ人材になってくれると期待するとき、未来を担う子どもたちに指導できる自分の喜びと幸せを感じ、それが明日への活力になるのです。

2013年

2月

25日

英単語を暗記することは単調か。

 英単語の暗記は単調だからイヤだというグチを聞くことがあります。

もし、”monotonous(単調な)”という単語を毎日毎日100回1年間書き続けなさいという課題が与えられたのであれば、そんは単調な作業はイヤだろうと共感することができます。

 しかし、英単語の暗記はそんな作業とは全く違います。例えば中学3年間で教科書レベルで覚えなければならない英単語は1500語程度あります。これを中学3年になってからの1年間ですべて暗記しようとすると毎日新しい単語を4語程度は覚えていかなければなりません。そして、原則として覚えた単語は忘れてはいけないのですから、これはもう単調な作業というカテゴリーからは外れて、実に活発に脳を使わなければできない作業になってきます。

 単調さは同じことの繰り返しから生まれますが、単語を覚えることは、一見、同じことの繰り返しのようですが、覚えるべき単語が一つ一つ違うのですから、これをやりこなすには工夫が必要なのです。自分なりのもっとも効率の良い覚え方を考え出すだけでも、とても頭を使います。

 この覚えるための工夫を考え出すことこそが、ほかのことにも応用できるトレーニングになるのです。最初は誰かのマネでも構いません。そのうち、自分なりの暗記の仕方を発見することができます。自分なりの暗記の仕方を発見すれば、その方法を他の科目や勉強以外のことにも使ってみると 良いでしょう。

 将来、社会に出た時に役に立つのは、覚えた英単語の方ではなく、自分なりに工夫した覚え方の方であることが多いのです。

2013年

2月

23日

ブログを始めます。

 あまりこまめな方ではないので、気が向いた時に気ままな題材について書いていこうと思います。

 軽井沢の今年の冬は、日本海側のような史上最高(悪?)の積雪を記録するほどではないにしても、近年の中ではかなり大雪を記録しているようです。

 昨年(2012年)の5月に東京から転居したときには、周囲から軽井沢の冬の寒さを経験したらすぐ東京に戻ってきたくなるよ、と言われましたが、夏と冬を経験した今、夏よりも冬の方が好きになりつつあります。